9.11同時多発テロから21年

9.11とはなんだったのか
本日は世界を震撼させた9.11同時多発テロから21年が経ちました。

改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈り致します。

中学生だった当時、たまたま2階の自分の部屋から親父がテレビを見ていたリビングに降りた際、タワーに飛行機が突っ込む映像を見たことは今でも鮮明に覚えています。

「ブッシュ政権が仕組んだ陰謀だ」などその後様々な議論が出てきましたが、その後のアフガン戦争・イラク戦争へとアメリカが大きく舵を切った出来事となったことは間違いありません。

マサッチューセッツ工科大学で現在、名誉教授を務め日本近代史・日米関係史の権威ジョン・ダワーはその著書「戦争の文化 パールハーバー・ヒロシマ・9.11・イラク」(岩波書店)で、自らに都合の良い思考、異論や批判の排除、過度のナショナリズム、敵の動機や能力の過小評価、文化的・人種的偏見といったものが今なお戦争を引き起こす“文化”となっており、9.11は戦争を引き起こす“文化”をアメリカの政治指導者が多用するきっかけとなったと厳しく断罪しています。


学生時代に訪れた戦地ガダルカナル島で

では日本はどうするか
9.11から20年という歳月を経てもなお、ウクライナを始め世界で戦争は絶えません。ウクライナに侵攻したロシアでもこうした悪しき戦争の“文化”は国境を越え受け継がれていると言えます。

戦争は相手のある問題ですから、こちらが声高に平和を訴えているだけではなくなりません。憲法9条があるから戦争にはならないということにはなりません。憲法9条は日本国内の憲法ですから他国を制することはできません。むしろ国連では自衛権は肯定されており、軍事力を持ち脅威に対して対抗する権利は認められていますから世界的にみても9条の存在というのは独立国家としていかがなものかというのが世界標準の見方です。軍事力がなければ相手国が侵攻してくることはないというのも一部ではよく言われることですが、これも現実的ではないということに多くに日本人が気付いています。

「戦争を避けるために外交努力をすべき」というのも一面では正しいですが、これも一部の方々がおっしゃるように外交は単体で成立するものではありません。外交と軍事力・経済力などの国力は不可分のものであり、国際社会では常識と言えます。

こうした現実を無視した議論からは戦争の“文化”を否定する建設的な議論はできないと考えます。

21年目の9.11はあらためて戦争を考えるきっかけとし、現実に立脚した日本の在り方についての議論を進めていきたいものです。